純米生酒のブログ

めまい持ちの精神障害者の体験談を発信していきます。

ココロは闇へ‼️😖

仕事に対するストレスは復帰以降、徐々に積もり積もっていった。

なかなか思ったように仕事が以前のようにはかどらない。

コロナ禍で部品調達の目処の立たない部品が後を立たず、家に帰ってもそのことが常に気がかりであった。

うちの会社は板金製作及び組み立て作業を行っていた。

顧客へ納品するためには、部品が1点でも欠品していれば納められない。

会社は金にならないのだ。世界情勢的に見ても、ウクライナ戦争の勃発もあり、海外からの購入品も目処が立たない。

会社からは部品が間に合って当然。と言うことが前提であり、間に合わなければ購買管理者である。私に責任が問われる。毎日常にプレッシャーだ。

常に緊張感で張り詰めた状態での仕事。

めまいは相変わらず続いており、仕事と病気のことで毎日頭はいっぱいとなり、不安で夜眠れなかったり、早く起きてしまったり、ひどい時は動悸で目が覚めることもしばしばあった。

私のココロはどんどん闇に落ちていった‼️

休日も唯一の楽しみであるサッカー観戦をしていても、以前のようにワクワクすることや、勝った時の喜びとか負けたときの悔しさとか、一切無くなっていたことに私はふと気づいた。

私はめまいの状態も良くなく次第にスタジアムでの観戦に対し足が遠のいていった。

DAZNで観戦はしていたがぼーっとただ見ているだけで頭に何も入って来ない感覚にさいなまれた。

約10年通っている精神科の主治医に仕事、めまい、不安、動悸などのことを毎回話す。

薬が何回か変わることもあった。

主治医曰く、何に対しても頑張らないで欲しい‼️と言われた。

私は意味がわからなかった。仕事を頑張るから会社から認められ、昇給昇格が今までの経験上当たり前であった。お金があれば好きなこともできるし、楽しみも増すと常に思ってきた。

主治医はそれを全員否定することを言っているのだ。

主治医が言った。あなたは今鬱状態です。

非常に良くない状態です。このまま行くと本当のうつ病になりますよ。

確かに今の自分の気持ちは闇の中だ。常ココロは閉鎖的であり、自分の全てを否定しているような気がしてならない。

でも私は会社の中堅社員であり、責任のある立場だ。私は常々、上司として部下に対し、モチベーターであるべきであり、導いていかなければならない。と思ってきた。

今は、それが全くできていないのだと気がついた。それもまた1つの不安要素であることがわかりますますココロをしていった。

今思うと、自分のココロの中がデフレスパイラルに陥っていたのだと思う。

ただ、その時はどうしていいのか、自分ではよくわからなかった。

 

次回へ続く…。

 

出来たことが出来ない‼️😢

年始からの出社に向け、家ではリハビリを行っていた。

できるだけ歩く。もちろん転ぶ可能性があるので、杖をついて家の周りを歩いていた。

そのせいもあってか、本当に少しずつではあるが、めまいはあるものの、あの10月27日の朝のような激しいめまいは薄れてきていた。

出社に向けだいぶ自信がついたと我ながら思っていた。

そして、年始の出社日となった。

工場内も狭い部分や危険な箇所もあるので、杖をついて仕事をすることに決めた。

私のデスクは工場内にあったため、騒音と社員の話し声が聞こえる環境であり、購買のため協力会社さんの来社もあり、デスクワークでの自分の仕事、来社した方の話し合い、部下の管理、部下の仕事の進捗の確認、職長会議等多岐にわたっていた。

なかなか歩くとめまいもするので、デスクワークが中心となりあまり動くことができなかった。

約2ヶ月のブランクもあり忘れることもあったが、何とか自分なりにはこなせていた。

しかし、めまいのせいで今までできたことができないことが多々あった。

まずは力仕事。重量のある金属製品の移動ができなくなった。

そして、協力会社様への部品支給のためのピッキング作業。工場内が広いわけではなく、雑然と部品が置いてあるため、立ったりしゃがんだり数を数えたりしていると激しいめまいでうずくまる。

その他にも数え切れないほどのできなくなることがあった。

今まで出来たことが出来ない‼️😢

正直、これはショックだった。療養中だいぶ頑張ってリハビリしたつもりではあったが、そのリハビリは仕事においてあまり通用するものではなかったからだ。

自分でできない事は、部下にお願いしてやってもらうようにお願いをした。

それにより、デスクに座っての仕事が必然的に多くなった。

大きな会社ではないので、1人でやることが多岐にわたる杖を持っていなければ、端から見れば健常者だデスクワーク中心になった私に対し陰口を叩く人も出てくるだろうと言う覚悟はしていた。悲しいことだが仕方がない。

自分の思いと身体のバランスがめまいによって寸断される。さらに周りからの影口もとある人などを通じ聞こえてくる。

私のココロは次第に病んでいった…。

 

次回続く…。

仕事が〜💻‼️

そんなこんなで、1時間に1回病棟を回るよう心がけ、フラフラになりながら病室に戻る毎日が続いた。

唯一の楽しみは、DAZNでのサッカー観戦だ。当たり前かもしれないが、病棟内にWi-Fiがつながっていて助かった。

しかし、私には入院後ずっと気になっていたことがあった。それは仕事のこと。毎月月初に社長を交えた役職者による各部門の1ヵ月の成果を報告しなければならないのであるが、部下からLINEが届き、購買関係の資料が作れない。と連絡が来た。仕方がないので、会社のパソコンを病室に届けてもらうようお願いする。コロナもあり家族以外面会謝絶のためパソコンは守衛に渡してもらい看護師さんが持ってきてくれた。そのパソコンを持ってきてくれたのがなんと社長であった。日曜日であったため快く持ってきてくれたらしい。当然電話はできないが、社長にLINEでお礼の言葉を述べる。

水曜日にある会議のための資料を作るため、月曜の朝に私とともに購買をやっている女性に欲しいデータを送ってもらうよう連絡する。

依頼した資料はすぐにメールで届いた。入院中で欲しい情報をプリントアウトできない為手書きで作ったし資料を見ながら、1ヵ月の購買に関わる結果をまとめてみる。パソコンを立ち上げデータをパソコンに入力し始めたところ、今までにないめまいが襲ってきた💦😱😱

仕事が〜‼️思うように出来ない😱😱

紙ベースで書いた資料をパソコンに入力するのだが、下を見たり、パソコンの画面を見たり、首を動かすとパソコンの画面がはっきり見えず気持ち悪くなってきた。普段なら10分でできる。1ページ目の資料が30分かけても作れない。

これはヤバいぞ‼️

資料作りを依頼してきた部下に、普段通りの資料が作れないかもしれない。と伝える。

部下は困りましたと言ってくる。私は消灯時間が過ぎてもパソコンに向かう。本当に自分でも情けないほど粗末な資料だ。悲しくなる。しかしこれが今の私の現状だ。めまいの状態からして部下には申し訳ないが、これで精一杯だと言うことを部下にメールで伝え資料を送る。それでもその資料を作るために二日間で15時間ほど費やした。

さらに追い打ちをかけるように、別の部署の上司からボーナス査定の資料を提出するよう言われた。通常は部下一人ひとりと面談し査定を行うのであるが、入院しておりどうしようもないので、こちらから各部下に対し資料を作成しメールで送る。今期はこんなところが良かった。こういったところを伸ばしてほしい。等前向きな言葉で表現し、部下からの回答を待った。その資料も会議の資料を作り終えた後に2日かけて、資料作成後、上司にメールにて資料を添付し報告した。

この1週間はパソコンと格闘しており、本当に辛い1週間だった。

会議の資料などを見た上司から年内は病気療養に当ててくれと言う連絡が来た。

ありがたい反面、仕事が滞らないか心配であった。それはコロナ禍により、購買部門は部品調達が困難な状況であったからである。

そんなこんなで、入院生活は2週間経っていた。

主治医よりそろそろ退院しましょう言われる。

正直、めまいは改善された感じが全くしない。

しかし、入院費等考えると自宅療養していた方が楽だと考え、退院をした。

退院した日は嬉しかった。病院食ばかり食べていたので、コンビニのメロンパンを買って食べたところ、涙が出るほどうまかった。

自宅に帰り、ほっとした自分がいた。愛猫と戯れる幸せを感じながら約2ヶ月の療養かぁ。と思いつつ、会社からの連絡に対しては相変わらずパソコンで資料を作成し送っていた。

復職へ向けて通院し、家事など自分で出来ることはやる事で少しはリハビリになると思い、毎日を過ごした。

そしてあっという間に年も開け出社する事になった。

地獄はこれから始まることを私は知らなかった。

 

次回へ続く。

 

MRI‼️結果が…。.˚‧º·(ฅдฅ。)‧º·˚.

入院して3日目、常用食なのだが、味も薄く量も少なく腹が減る。

ぐるぐる目が相変わらず回っており、何をするにも苦痛である。

俺、本当に治るのかなあ。と自問自答する日々。

主治医と話す。私の病気はなんですか?と尋ねる。主治医曰く、良性突発性頭位めまい症かメニエール病の可能性が高そうです。まぁ、MRIの結果を見て判断します。と言われた。

相変わらず点滴を受け、血管痛がひどい。f:id:yoko_boz:20240324104413j:image

そして、MRI当日。ヘッドホンをするものの、若干閉所恐怖症の気があるのかちょっと怖かった。

ガ〜、ビ~と、嫌な音が鳴り響く。何とか堪え。MRIは終了した。

嫌な音が鳴り響く。何とか堪え。MRIは終了した。MRI終了後違うな。

夕食を食べ終えた頃に主治医が病室に来た。

MRIの結果は、もう国立大学附属病院の脳神経内科の先生が水曜日に来るので、その時に確認してもらいます。と言われる。

あの~、先生、めまいが良くなってる気が全然しないんですけど。と伝えると点滴をぶら下げている。台車を押しながら病棟内を歩く練習をしてくださいと言われる。

それから、1日に数回病棟内を歩いてみることにした。

病棟内を1周すると頭がぐるぐるしてただでさえひどいめまいがより一層強くなる。

それでもリハビリだと思い続けるようにした。

そしてとうとうMRIの結果が出た。

主治医曰く、左の平衡を司る前庭神経に腫瘍があるかもしれません。と言いながらMRIの画像を見せられる。

えっ、まじですか?と慌てる。主治医はさらに話し始める。あくまでも可能性です。炎症を起こしているかもしれません。ただ、国立大学附属病院の脳神経内科の先生は腫瘍の可能性が高いとおっしゃっていました。とのこと。

主治医に対し私は今後どうすればいいんですか?と尋ねる。主治医曰く、まずはリハビリがんばりましょう。とだけ言われる。

腫瘍かよ‼️😭

その日は、正直、マジ凹んだ。

不安な私は、めまいの中スマホで色々と検索してしてしまった。

ガンマナイフでのオペとかいろいろ情報が入ってくる。ますます不安になる。

ガンマナイフでのオペとかいろいろ情報が入ってくる。ますます不安になる。スマホを見すぎたせいか疲れて寝落ちしてしまった。

次の日、両親にこのことを伝えるとなるようにしかならないからあまり考えるな。と言われる。

とりあえず、入院している間はリハビリをすること、2日にいっぺん程度の診察を受け過ごすこととなる。せめてもの救いは食欲があったこと。

だけど味も薄く量も少なく、常に腹が減っていた。病気でも食いしん坊な私である。笑笑

 

次回へ続く…。

 

 

入院かよ‼️😱😱

結局、1時間待たされて、最初に通されたのは聴力検査室だった。なぜ聴力?と思いながらも、聴力検査を受ける。

そしてまた30分ほど待たされる。

主治医からは聴力に異常はないと言われる。

私はめまいの原因はなんですか?と先生に問いかける。先生曰く、現時点では分かりませんと言われ、ベッドに横になり、何やら見たことのないスキーのゴーグルのようなものを目に当てられる。そして体勢を変えながら、ひたすらゴーグルを見る。体勢を変えるだけでめまいがする。

フラフラになりながら椅子に座り主治医の話を聞くと、眼球振盪が酷いですね。と聞き慣れない言葉を言われる。

眼球振盪って何ですかと聞くと、先程のゴーグルにはカメラが付いていて眼球の動きを見るためのものだった。

(眼球振盪(がんきゅうしんとう)は、目が意図せずに速く動く状態)

確認すると黒目が横にピクピク動いている。

どうやらこれがめまいの原因らしい。

今日は様子を見ましょうと、主治医から言われ点滴を打つことになる。

別室にてメイロンという薬品を点滴される。この点滴は血管痛があるらしく、ゆっくり3時間位点滴された。確かに血管が痛い。血管痛という言葉をこの歳になり初めて聞く。3時間は私にとって非常に長く感じ、且つ苦しいものだった。

念のため、来週の月曜日、脳のMRIを撮りましょうと言われ予約する。

点滴もあり、自宅に帰る。朝8時ごろ病院へ行き帰ってきたのは午後4時位であった。さすがに、私も疲れ切った感じですぐに寝てしまった。

 

翌日、目が覚めると昨日と全く変化がない。強いて言えば、壁に手を添えて、歩いて、両親のところまで、かろうじて行けるようになった位だ。

両親に今日も病院へ行きたいと伝える。

今日も病院へ行きたいと伝える。きっと長時間になるので送り迎えだけしてほしいとお願いする。

送り迎えだけしてほしいとお願いする。

そして今日も聴力検査(聴検)後、眼球振盪(眼振)の確認を行う。昨日と変化は全くなく!また血管痛のある点滴を打つことになる。

点滴終了後、主治医より明日も良くなる兆しがなければ入院しましょう。と言われる。

えっ(;゚Д゚)!入院かよ‼️

と、思いながら両親に電話伝える。

看護師さんが来て入院のパンフレットをもらう。

一通り話を聞き家に帰り、多分明日もだめだろう。と思っていた私は、入院の準備を始めた。

翌朝、やはり全く良くならない。入院用の荷物を持ち、病院へ。

昨日から全く変わらないルーティーンで、処置が施され、その後入院することとなった。

 

次回へ続く…。

 

めまいは突然にやってきた‼️

あれは忘れもしない。 2021年10月27日午前4時の事だった。

前の日も仕事に追われ、クタクタに疲れ、家に帰りいつものように晩酌をし床に着いた。

私は以前から仕事のストレスからかよく朝方早い時間に目が覚める事が多かった。

 

めまいは突然やってきた‼️

 

私は、いつものように朝4時ごろ目が覚めた。

すると、天井がグルグルと回っていた。

昨日少し飲み過ぎたかなぁと思い、再度夢の中へ…。

朝、6時目が覚めると相変わらず天井がグルグルと回っている。

やはり何か変だ!すごく目が回っているぞ!と思いながら布団から出て立ち上がると、そのまま床に倒れ込んだ。。。(lll __ __)バタッ

あれっ?立ち上がることができない??

えっ(;゚Д゚)!なんで??と思いながらも、床を這いつくばりながら1階にいる両親の元へ…。

 

目が回って立つ事も歩く事もできないんだけど…。と、両親に伝えたところ、2人とも血相を変えた様子で、すぐに病院へ行こう。

とはいっても、まだ私はパジャマのままだ。何も用意ができていない。とりあえず父に担いでもらい自室へ戻り何とか着替えを行った。

 

どこの病院の何科に行けばいいんだ?と話をしたところ、かかりつけの市民病院の耳鼻科へ行くこととなった。

 

そして私は父の車で病院へ向かった。車を降りても歩くことができず、病院にある車椅子を借りることができた。

 

そして受付カウンターで症状を伝えたところ、予約患者でいっぱいの耳鼻科でも優先してみてもらうこととなったが、病院についてから1時間以上は待たされた。待っている間もグルグル(𖦹_𖦹)目が回り吐き気はなかったものの、非常に気持ちの悪い状態だった。

 

次回へ続く…。